生活している中で直面する‘もやもや’や、先天性・後天性それぞれの当事者がかかえる ‘もやもや’、遊びや運動についての‘もやもや’など、日常に関わる「もやもや」です。
ドエ
内部疾患のため公共機関の優先席などを使っていいのかモヤっとする。
おかぴ
心臓病を持ったひと(女性)の出産・子育てについてあまり情報がなくもやもやしてます。
交流会参加者
先天性の人は、健康な人がどこまでできて、病気だからどこまでできないのかわからない。
交流会参加者
45歳のときに心臓に関わる疾患が見つかったが先天性のものと分かった。そのため自分自身の今の状況やしんどさをどう言語化していいのかわからない。今までの環境下でいきなり「しんどいです」と手をあげることをためらってしまう。
交流会参加者
厚底とか重い靴を履くと酸素濃度が低いこともあり、息切れをしてしまう。おしゃれな靴も履きたい。
急性期以降のリハビリをする場所や機会がないので、結局自分でやることになるがどれだけやればいいのかを誰も教えてくれないので自分で管理しなければならない。
病状がだんだん悪くなって、がくっと落ちてまたちょっと持ち上がって等の波がある。自分では把握しておりセーブしているつもりでも周りから見ると「だからがんばったらだめなのに」と言われる。
旅行に行きたくても色々な課題があり難しい。点滴生活になってから、初めて旅行の予定を立てたが、薬局で出してもらえるところが全くなく、旅行したときに連携できて対応してくれる病院や薬局があるといいのになと思った。
幼少期の病気のことに関してはあまり記憶に残っていないことが多いが大人になってから社会の厳しさや自分の病気を理解してくれる人がいないなど生活の厳しさを知った。
内部疾患のため相手に説明し理解してもらうことがモヤっとする。
自分と同じ病気を持っている先駆者的な人があまりいない。
自分でどこまでが大丈夫なのかが分からないことも多々ある。無茶してしまい撃沈することも多々ある。
他の人にわかるように説明すると「疲れている」などの言葉に形容されてしまい、健常者の感じる疲労感と当事者の感じる疲労感が同列になってしまい悩ましい。
先天性の病気だったこともあり幼少期の頃は「わかってもらって当然」という認識があった。
そもそも自分がどんな病気なのかを20歳くらいまで分かっていなかった。20歳以降は自分で手術の内容も理解するようになった。
交流会も年に数回のため、もう少しあると孤立も少なくなるのかな。社会から必要とされてないのかなと思うこともある。仕事が出来ないと、よりそう思う。自己肯定感も下がりやすい。どうすれば自己肯定感が増えてくれるのかなと考える。出来ることが増えるとまた自己肯定感も上がるんだろうな。
病気のことを話すと相手が分かった、わかっているからというような分かった風な人がいることがモヤっとする。
1人ででかけることができないので、親の同行がないと出かけられない。
自分の病気を説明するのが難しく一度で理解してもらえないことが多い。
(特にコロナ禍で)気を使われ過ぎて仕事を休まざるを得ないことがあった。どこまでも気を使ってほしくはないけど、全く気遣われないのも困る。
在宅にて高カロリー輸液をやっているが、普通のリュックに入れているので外に出たときに唖然とされたり引かれたりする事もある。
先天性なので病気になってからの時間経過は長いが、ベテランだといわれるともやもやする。
以前は出来ていたことが出来なくなってきていることにモヤっとする。
定期検診ぐらいで、ずっと元気であまり意識せず過ごしてきたが、具合が悪くなってから「自分はどこまでできるんだっけ?どこまで(電車に乗ったり)いけるんだっけ?」とわからなくなってきた。自身の体調のギャップにもやもや。
補助人工心臓つけた1年目はみんながすごい「大丈夫」という感じだったが、2年目からは、「意外と君できるじゃん」みたいな感じで、色々要求が増えてきた。
(病気について)経験しないと理解しづらいのかなということも理解はできる。理解しようと思ってくれてるのかなと常に考える。どうすれば分かろうとしてくれるのか、どう言語化するのかが悩ましい。
長時間の飛行機に乗ること。
今飲んでいる薬(おそらく小さい頃から飲んでいる)は果たして効果があるのだろうか。飲まなくていい選択を自分でできるのか。
内部疾患だと分かりづらいため元気そうと言われる。無理してでも笑っている。なったものは受け入れるしかないから不屈の精神で乗り越えてきている。病んでも仕方ないと一部開き直っている。
若い時は無理をしていた。年齢とともに体が追いつかなくなるが、周りから見るとしんどさがわかりにくい。
家庭の中で家事を普通にこなしていると、やっぱり元気じゃんと思われることがある。
交流会参加者
若い頃は就職でも差があったりし「私はなにもの」ともやもやした。成人になると、後天性の心臓病をもつ人とは(先天性は)ちょっと違うなともやもやする。
この交流会自体がもやもやしてします。「心臓病」という縛りで社会から区切られているような感じがします。
遊びに行ったあとに体調が悪くなると自己管理ができないのではないかと言われてしまうようで、休日でも遊びに行ったというのがもやもやする。
運動の制限って難しい。無理しないでくださいね、の「無理しない範囲」もわからない。
もし長生き出来たら老後はどうしようか心配。心臓病だけでなく合併症もあるので、特養に入れるのか。障害者向けの施設とかつくってくれたらいいな。
所属している患者会で、不幸な話をきくと、亡くなった時の様子が自分と同じような状況だと自分の先の事が不安になる。葬式や身辺整理の不安、どういうかたちで亡くなっていくんだろうというもやもや。
後天性だと、今まで元気だったので自分自身のコントロールがまだまだ。年齢もあるが、体力が衰えている中でも運動がやりたい。心臓病なのがわかっていても無理をしてしまう自分がいて常に葛藤している。
0歳で手術をした。その後は毎年検査で病院にいき、特に異常もなく過ごしてきたが、実は先天性疾患があったことをつい最近、診断が確定した。こんなに長い間通院しているのに気づかないものなのだろうか。
元々サウナが大好きだった。心臓の手術をしてからはしばらく行っていなかったが、息子と温泉に行ったときにサウナに入ってしまい、その話を医療関係者に話したら「ダメだよ」と言われた。
自分の状態についての冗談を言っても引かれてしまい、冗談として通じないことがある。
ヘルプマークをつけていても役に立っているかわからない。
仮病、なまけものに見えがち。
お化け屋敷などの怖い系で「心臓病の方はお控えください」とあるが、その基準がよくわからない。
体力をつけてもすぐに落ちてしまう。
今後自分の心臓がどうなっていくのか、ずっと心配。手術して少しは良くなっても、この状態がいつまで続くのか不安。
薬で血が止まりにくいこともあり「怪我をしてはいけない」と言われるが、全く怪我をしないということはできないので、どのように回避していけばいいのか。
見た目ではわからないので元気だと言われる。病気は受け入れるしかないことで、最初はそんな状況では無かったが今は笑えるようになったので不思議がられる。病気で健康ではないが元気はある。普通に生きていくためには普通に生活していくしかない。
ヘルプマークが出来てから内部障害を見える化できるようになったが、健康そうに見えることは良い面でもある分、距離が近くなればなるほど「なんで出来ないの」という見られ方をしてしまうことがある。
自分で「ここまでできる」と思っても、実際にやってみたら思ったよりできない。
子どもの頃は自分の限界値がどこまでかを自分で試しながら生きてきた(体育の授業や遊びなどをクラスメイトと一緒にやっていた)が、社会人になってからは自分の限界値が下がっているような気がしている(週5日7~8時間勤務という当たり前が難しい)。