経験談

成人先天性心疾患~18歳の君へ~

文:NORIKO

(え?なんで?)
息子の診察結果を聞きに来た町医者の診察室。パソコンの画面に映る見覚えのある病名。
(私、この先生に自分の既往歴伝えてないよね…?)
そんな事を思っていたら診察室に医師が入ってきた。
「検査の結果息子さんは【心房中隔欠損症】の疑いがあります。紹介状を書きますので大きな病院で詳しい検査をなさって下さい。」
最初の診察では異常なしと言われたが、放射線科とのダブルチェックで指摘があったらしい。僅かな病変を見逃さなかった放射線科医のファインプレーだったようだ。

息子は当時高校3年生。就職が決まり、入社前の事前健康診断で要精密検査の通知が来た。
寝耳に水。“入社前の健康診断なんて異常なしが出るに決まっている”と思っていた。
【心房中隔欠損症】とは、左心房と右心房を仕切る心房中隔に欠損孔と呼ばれる穴が開いている疾患で、通常心臓から肺に送り出される血流量は等しくなるべきだが、この疾患の場合は欠損孔がある為、左心房から右心房へ血液が流入し、右心房・右心室・肺への血流量が増加してしまう先天性心疾患だ。
(先天性心疾患って生まれつきなのにどうして18歳の今頃!?)
なぜ私がこの病気に異様に詳しいのかというと…、私も0歳の時に同じ病気に罹患し、克服した一人だからだ。
(この子の心臓も穴が開いているという事か?)
私は混乱しながらも、病気を説明する医師に自分も罹患者だと伝えた。医師は妙に納得。紹介状を貰い病院を出た。この日は私一人で結果だけを聞きに来たので息子は不在だった。
(なんて説明しよう。いきなり心臓に穴があるなんて言ったら不安にさせるし…。)
でも事実は伝えなければならない。そう思うと不思議と冷静になれた。
自分は今までの人生でいくつか大きな病気を経験した。“子供には罹患して欲しくない。親として出来る限りのことを!” と病気の事を調べ、学生の頃から医療保険にも入れた。でもいざその時が来たら考え方が180度変わった。私にしか伝えられない事がある。
それは【嘘偽りのない『大丈夫』】
この病気はきちんと手術で治療すれば治るという事を私は自分の存在で証明している。
 自宅に戻り、入社前研修から帰った息子に検査結果を伝えた。明らかに顔がこわばる息子。
「お母さんも同じ病気だった。でも、めっちゃ元気やろ?やけん大丈夫!」
笑って伝えると、少しホッとした表情を見せた。同時に私は当時の母の不安そうな顔を思い出していた。私が6年前に希少がんを患った時もそうだった。突然、自分の子供が病気と言われ親としてどんなに不安だったろう…。
だからこそ身をもって伝えるこの「大丈夫」の重さ。
 告知を済ませ私が次に考えたのは病院と術式の組立て。私は14歳の夏に開胸手術で穴を塞いだ。女の子だからとMICS(低侵襲心臓手術)が適用された。28年前は胸に傷を残すことでしか治療ができなかった。傷や負担の少ないカテーテルで!
それが私の最大の望み。

 何の因果か、私が0歳から通った病院で息子は手術を受けることになった。
18歳という、世の中では成人である年齢にも関わらず私と同じ小児循環器内科外来を受診。しかも医療現場では判断能力がないとみなされ、20歳まで診察には毎回親の付き添いが必須となる。ますます国がなぜ18歳を成人にしたのか理解が出来ない。アンパンマンを連呼する2歳児と、スマホで暇をつぶす18歳が一緒にいるカオスな空間。
 様々な検査の結果、カテーテルアンプラッツァー術1が可能と判断され、息子は入院した。
手術直前に落雷による停電で差し戻され、再び手術開始。終了予定時間を過ぎても全く戻ってこない。嫌な予感がした。終了後の説明で穴が2つあった事を知る。そんな所まで母に似なくていいのに…。長い1日が終わった。
 18歳で確定診断を受けた息子の一件から、心臓とは不思議なものだと改めて感じた。穴の存在を知らずに過ごした18年間。体に負担がかかろうと息子はそれが普通と思って生活していた。18年越しに【正常】を知る。私たちは絶えず動く心臓に生かされている。私も息子も例外なく。人生が終わるその時まで…
【刻む。一瞬の永遠を】

  1. 心房中隔欠損のカテーテル治療 AMPLATZER|慶應義塾大学病院 心臓血管低侵襲治療センター ↩︎

◆本コラムは、with Heartプロジェクトで開催したライティング講座を受講された方のコラムです

<この記事を書いた人>
当事者メンバー NORIKO