経験談

ワタシを支えてくれたタイムカプセルのハナシ

文:ミユ@アストロ

 1970年代にファロー四徴症で生まれた私は、初めての手術を受けるため2歳のときに大学病院に入院した。小児科のその病室には私も含め6人の心臓病の子どもがいて、みんな心臓の手術を受ける子どもたちだった。
 その頃の記憶は全然ないけれど、母の話では、2歳の私はストレッチャーに寝かされて手術室へ連れていかれるときに、両親が見送る姿が見えなくなると、看護師さんに「捨てないでね」と言ったそうだ。
 私は(もちろん捨てられることもなく)無事、手術を終えて病室に戻ってきた。
ただ、20年後、その病室の6人のうち、生きていたのは私1人だった。
子どもの心臓手術はまだ確立された“治療”というよりも“挑戦”の時代だったのかもしれない。

 1998年、20代後半になった私は、独学でコツコツとホームページを作り、『アストロハーツ・プロジェクト』というタイトルをつけて公開した。
 きっかけは、「自分のような先天性の心臓病の若い人は、何に悩んで、どうやって解決して、どんな暮らしをしているんだろう?」とずっと思っていたからで、私と同じような病気で同じような思いを抱いている人たちと、今風に言えば、“経験や気持ちをシェア”したくて始めたことだった。
 それに、その昔6分の1で生還した私があの5人のためにできることは、これから育ってくる同病の子どもたちの役に立つことかなとの思いもあった。
 また偶然にも、(のちに知るのだけれど)アメリカなどでは先天性心疾患啓発デーの2月14日に、「アストロハーツ」という先天性心疾患者の思いが詰まった小さなカプセルが、インターネットの宇宙にプカプカと漂い出していたのだ。
 ツイッターもFacebookもまだそれほど使われていないこの時代に、たっぷりコミュニケーションをとれるのは『ML(メーリングリスト)』だった。MLを始めたことを、患者・家族の団体「全国心臓病の子どもを守る会」でも取り上げてもらうと、次第に、病気の当事者だけでなく、親御さんも参加してくれるようになり、多い時には200人ほどがやりとりしていた。
また、気軽に情報交換できる公開の場として『掲示板』も設置した。
 10年ほどの間に、手術の事や生活の事、仕事選び、仕事と体調、職場での人間関係、学校で起こる困りごと、自立について、主治医との関係、生活に欠かせない制度のことなどなど、小さなカプセルの中でたくさん共有できた。

 あれから、ずいぶん年月が経った。
アストロハーツ・プロジェクトで語り合った内容は、2024年の今も変わらず先天性心疾患の子ども、大人になった当事者が感じる生きづらさであり続けている。
 私もすべて解決したわけではなく、抱え続けながら、時々忘れたり、ため息をついたり、楽しめる推しをみつけたりしてなんとなく日々を暮らしている。
 やりとりの中では、誰ともなく解決策が出ることもあったし、でも、どうしようもないことのほうが多いけれど、そうして共有されてきたことに私自身ずいぶん支えられ、他の誰かの心にも残ったことだろう。今もなお、掲示板のログにその足跡を見ることができる。
 そこで知り合った病友の中には、すでに星になってしまった人も何人もいる。そんな友の心のつぶやきもまた、語り合ったみんなの心に、そしてメールの中に変わらずにしまいこまれている。
 今はもう、MLも掲示板も放置していて、ほとんど機能していない。けれども、このカプセルは、私の心臓病ストーリーと、私やみんなを支えてくれたハートを詰めこんだタイムカプセルとなり、そのままネットの宇宙を漂い続けている。

Astro-Hearts Project~心臓病児・者交流サイト
http://www.eve.ne.jp/user/miyu/

◆本コラムは、with Heartプロジェクトで開催したライティング講座を受講された方のコラムです

<この記事を書いた人>
当事者メンバー ミユ@アストロ